これは、平先生が実際に行っている無料説明会を録音し、文章化したものです。ホームページでは十分に伝えきれなかった事、また遠方の方で無料説明会に参加できない方に参考にして頂き、より豊な人生へのヒントになれば幸いです。 神戸メンタルサービス 神戸メンタルサービス 無料説明会 意識・無意識 先ず初めに、心理学全般のお話をします。 心理学というと、皆さんはよく潜在意識とか無意識といった言葉を聞かれたことがあるかもしれません。もし私たちの考えていることを意識的な事と潜在的な事と無意識的な事に分けたとすれば、意識というのは頭で分かっている部分ですよね。無意識的な事というのは自分で自覚していない部分ですよね。この意識的な事と無意識的な事の比率はどれぐらいの割合だと思いますか。 これは5年くらい前のリサーチなんですが、3〜4%ぐらいだといわれています。 もしかりにですよ、意識的なことが3〜4%だったとするとこんな感じだと思いませんか。 何か氷山が波の上に浮かんでいる。その下には何か無意識的なことがある。 まるでこんな感じですよね。 その場合にはこういう事が起こります。意識的には、すごく思っていることでも、潜在的にはそれをまったく感じていないということが起こります。 例えば男女関係の場合、多くの独身の方をカウンセリングすると、こういうのが出てきます。 『彼氏が欲しい』とか『彼女が欲しい』とか。 彼らは意識的にはよだれが出るほど本当にそう思っています。 そして、多くのそういう人に 『どうして恋人が欲しくないの』 と聞きます。 彼らは 『え、そんな事はないですよ。本当に恋人が欲しいんですよ』 と答えます。 そこで私は 『もし仮に恋人が欲しくなかったとすると、どうしてなんだろう』 という話をすると、彼らは 『振られて傷つくのが恐いから』 とか 『すごく自由が奪われるから』 とか 『以前、付き合ってた時に惚れた弱みで振り回されちゃったから』 とよく言います。 『傷つくのが恐い』という部分が私たちの中にはたくさんあります。この部分は潜在的な部分に潜っています。もし仮に『もう全身全霊、意識的に彼が欲しいな』と思っていても、『よだれが出るぐらい欲しい』と意識的に100%思っていても、全体的には4%だとして、仮に潜在意識の中で、10%くらい『もう傷つくのが嫌だな』っていう部分があったとしたら、4%と9,6%がけんかしたら、当然なかなかスムーズに行きませんよね。 私達にとって、何かの妨げになるのは私達の感情です。そして、それは潜在意識・無意識の中に潜っていて、姿をあらわしません。 アプローチの仕方 我々の考え方というのはこうなんです。 私たちが車を一生懸命運転しようとしてアクセルを踏んでいるのだけど、思うように車が進まない時に多くの人は、特に大人はこう考えます。 『もっと頑張ろう、もっと頑張らなきゃいけない』 しかし、私たちはこう考えます。 『車を運転して、アクセルも踏んでるんだけど、車が十分思うように動かない時は、きっとサイドブレーキを引っ張った状態になってるんだろう』。 だったら 『どうしたらサイドブレーキを落とせるだろう』 ということを私たちはやっています。 多くの場合、みんなこう思います。 『何か成果が欲しいから、一生懸命頑張ってきたし、男女関係でも、仕事でも、両親との関係でも私はすごく頑張ってきた。にもかかわらず、こんなちっぽけな物しかもらわなかったら、あれだけの成果を得るためにはもう何倍頑張らなきゃいけないんだろう』 そう思った瞬間、嫌になっちゃうんです。疲れてしまうんです。 『あれだけ頑張ってるのに、これだけ』、『じゃもっと頑張らなきゃいけないの、もっと気をつかわなきゃいけないの、もっと我慢をしなければいけないの』 と思うと、もう何もしたくなくなるんです。 サイドブレーキを引いた状態で、アクセルを思いっきり吹かして、それでも足らずに目一杯吹かして、それでもスピードが出ないからと言って、エンジンまで換えたらどうなるでしょう。燃え尽きるのが早くなるだけです。 ここで頑張れば頑張るほど、燃え尽きる時間がのが早くなってしまうだけで、効果はあまり上がってきません。 でも、私たちが見ていくのはサイドブレーキです。さっきの男女関係で言うと、 『彼氏が欲しいんだけれども……』 という部分です。じゃ、この痛みの部分をどんどん、どんどん癒して、取っていこうという事をやっていきます。そしてやってきました。 個人的にも、年間私だけでも、1600〜1700件のカウンセリングをするんですが、実際やってみて、私たちが試してみてうまく行った方法のみを皆さんに提供します。 『学説的にはこうなんだけれども、まだ試してないよ』 というものは皆さんに一切お教えしません。 その中には 『え!? そんなことするの』 と思うやり方もあります。私たちが往々にしてよく扱うのが、意識的な部分にもサポートをしますが、それより下の部分(潜在意識・無意識)を扱うことがとても多いのです。 無意識の力 意識と無意識の話に戻りますが、私がこの話を聞いた時にこう思ったんです。 『意識的なものが4%だと仮定しているけど、どうしてそんな事が分かったんだ』 ということが私の疑問でした。 当時私に説明してくれたのは、私の先生のヴィジョン心理学を創始したチャック・スペザーノ博士だったのですが、こう答えてくれました。 実はある心理学者がこれを考えた時に、きっかけになったのが映画の『レインマン』なんですが、皆さんご存知ですか? ダスティン・ホフマンが演じている患者が、『サマン病』という病気かかっているんですが、サマン病というのは特異的な才能を示すんです。 サマン病は精神病の一種なのですが、例えば、ハローページ1冊を1日ぐらいで、4日もかければ全部覚えれるくらいの天才性を発揮するんです。 レインマンではこうでした。マッチ箱から落ちた全部のマッチ棒を、落ちた瞬間に『何本』と言い当てるんです。そして、1本ずつ数えていったらそのとおりだったんで、びっくりしたというのがレインマンで出てきた場面ですが、こういう部分の要素がサマン病にはあるのです。 その病気から心理学者が思ったのは 『なぜ、サマン病の患者だけ、そのような天才性を発揮するんだろう……』 ということでした。 そして分かったことは 『サマン病は天才ではなくて、彼らは意識と無意識の垣根がほとんどない』 ということでした。彼らはすごく、潜在的な物、無意識的な物を上手に使えるということでした。 そこである学者が、 『何とか無意識の割合を計りたい』 と思った時に、心を見るのではなくて肉体を見てこの数字(96%)をはじき出したんです。 例えば、私たちは命令したら手や足を動かすことができます。逆にいえば、命令しないと手や足は動かないはずです。心臓や肺は寝ててもちゃんと動きますよね。命令しなくても動いてくれます。 だったとしたら、皆さんが歩いている時に、当然私たちは命令をしています。右足をあげておろした瞬間に左足をあげる。左足をおろした瞬間に右足をあげる。これを繰り返します。 命令しないと足は動きませんよね。 でも、皆さんが歩いている時に 『命令してますか』 と聞かれたら、 『命令しています』 と答えませんよね。自然と無意識的にやっています。テレビを見ながら、新聞を読みながら、コーヒーを飲む時はどうでしょうか。どれぐらいの角度で持って、どれくらいの角度で口まで持って行って、どれくらいの角度で流し込むか、なんて命令してないですね。無意識的に私たちはしています。 こう考えて頂いたら、私たちの日常は、肉体を見る限りほとんど無意識手に、96%は無意識的に行っているということも当てはまるんじゃないでしょうか。 でも、これは肉体だけじゃなく、私たちの見方・考え方、ほとんどがこれに当てはまってしまいます。 観念−自分自身を変える 世の中にはたくさんの人がいます。私たちが人と出会う時には、ある人の一部分と一部分を見て、 『この人はこうだ』 と思います。ひょっとしたら同じ一部分かもしれませんが、『その人はこうだ』と思うに至るプロセスというのは人の数だけ違います。そこでは環境の要因や、体験的なことが作用します。 私たちがやっていることは、様々な環境や体験の中でこれが一番いいと思った方法をやっています。それは今までは役に立ったようです。だからやっています。でも、私たちには社会に出たりとか、恋人ができたりとかいろいろな環境の変化があります。そして、私たちは新しい環境にも古いやり方を使ってしまいます。 『男とはこんなもんだ』 『上司とはこんなもんだ』 『会社とはこんなもんだ』 とか、いろいろ私たちは自分達の考え方に持って行こうとします。それに当てはめようとします。 でも、多くの場合、なぜそのような考え方を持ったかというと、かならずその考え方を持った土台があるはずです。その土台が役に立っていればそれでいいんですが、もしそれが役に立っていなかったり、うまく行ってなかったとしたら考える必要があります。 往々にして私たちは何か身の回りでうまく行かないことがあればこう思います。 『私の上司は最悪だ、あんな奴どっかに転勤すればいいのに』 『家の女房は最悪だ、家の旦那はすごく暴力を振るう』 とか思った時に、何とか外側を変えようとします。そのやり方はうまく行きませんでした。 往々に上司に文句を言えば皆さんの方が弾き飛ばされてしまう。往々にして男女関係では惚れた弱みで 『こんな事を言ったら相手に嫌われるんじゃないか』 と思って我慢しなければしょうがなかった。 いろいろな部分で外側を変えようと思ってもなかなかうまくは行きません。でも、私たちのやり方では皆さん自身が変わることによって周りが変わるということはありえるんです。私たちはそのやり方をしてきました。 多くの人はこう言います。 『悪いのはあいつやん。何で俺が変わらなあかんねん』 と皆さんよくおっしゃいますが、ここで頑固になってつけを払わされるのは、私たち自身ですよね。 関係がうまく行かなかったとしたら私たちはこう考えます。 『私たちの何を変えれば両方うまく行くんだろうか』 私はヴィジョン心理学という心理学を学んだのですが、心理学の中で名前が売れ出したのは、離婚寸前のセラピーです。ヴィジョン心理学は男女関係の心理学ということで有名ですが、男女関係のみでの心理学では全然ありません。ただ一番評判を取ったのは、離婚寸前の夫婦をもう一度ロマンスに戻したというセラピーです。 私たちは夫婦関係のみならず、絶望的な関係が上司との関係であれ、男女関係であれ、親子関係であれ、 『それを改善することはできるんだよ』 と伝えたいのです。そして我々ははこれを行ってきました。 そしてあらゆる私たちの問題は対人関係に絡んでいます。 心の傷の始まり 皆さんは、問題というのは生きている人の数だけ違うと思いますか? でも、それは半分正しいけれども、半分間違っています。私たち全員が、共通のパターンというのを持っています。 私たちが子供だった時、自分達では何もできないから『お母さん、お母さん』っていつもまとわり付いていました。家によってはお父さんかもしれません。今皆さんには、ご両親に対する文句が山ほどあるかもしれませんが、私たちはすごく小さな時に両親を嫌いになれませんでした。 両親がどんな親でも、両親が大好きでした。両親の悪い所は見えませんでした。両親から怒られれば、私たち全員は 『私たちが悪い』 と思いました。 『お母さんがこんなにも怒るんだから、きっと私が何か悪いことをしたに違いない』 と思いました。そして自分を責めました。 でも、両親が本当にひどい両親でも、両親のことを嫌いになれない時期があります。そして、『お母さん、お母さん』ってしていたんです。こういう時期というのは、依存の時期というんですが、赤ちゃんの時には私たちは自分でおむつも変えられないしミルクも飲めません。だから、お母さんに全部面倒を見てもらうしか仕方がなかったんです。 でも逆説的にいうと、私たちが赤ちゃんの時、お母さんに 『今日はおっきなうんこが出たねー』 とか、一杯ご飯を食べた時にはたとえボロボロこぼしていても、 『今日は一杯食べたね―』 とか言われました。 ところがしばらく経つとこうです。 『おしっこはトイレでしてね』 『また、ここでしちゃったの』 『ぼろぼろこぼさないの!』 でも、これはお母さんが子供を愛さないからでしょうか。そうではありません。ただしつけが始まっただけです。 でも、もし赤ちゃんが上手に喋れるとしたら 『待遇が悪くなったじゃないか。昔はこうじゃなかった。おしっこしてもうんこしても、ぼろぼろご飯をこぼしてもいいって言ってたじゃないか。何で最近そんな事を言うの』 と言います。そして 『私のことを嫌いになったんだな』 って思います。 以前はすべて『OK』だったものが、 『何で私が嫌がることばかり言うんだろう』 と思った時に私たちは『お母さんから嫌われた』と思います。 『お母さんから嫌われただろう』 と思うから、お母さんからちょっと距離を置きます。言われれば言われる程、実は私たちが両親から距離を取っているのです。でも、これは自立の段階です。赤ちゃんというのは何もできないけれど、親はこの子を何でも1人でできるように教育しようとします。これがしつけとか人生のルールを教えてくれます。 でも私たちはずっと両親と一緒に居たかったんです。でも、なぜか親から拒絶されるようになったんです。 『自分でできるでしょ』 とか 『自分でしなさい』 と言われた時に、 『愛してくれてないのかな』 と思い、どんどん、どんどん自立を始めます。そして小学校くらいまで私たちはこうでした。 そして中学生くらいになると、私たちは自立的になって行き始めて、私たちは 『両親と旅行に行くよりも友達と旅行にいく方がいいじゃないか』 と思うようになります。目がどんどん、どんどん外に向き始めました。そして依存の最終段階であることが起こります。 『いい女がいるな』 『素敵な彼がいるじゃないか』 これが初恋です。これが私たちにとって第2のステージなのです。 本当に欲しかったもの 今皆さんは欲しいものが一杯ありますよね。『女が欲しい』、『宝石が欲しい』、『車が欲しい』、『家が欲しい』、欲しい物は一杯あります。でも私たちが人間である限り本当に欲しいものは4歳の時まで1つだったのです。それは両親からの愛と親密感です。『お父さんやお母さんから可愛がって欲しいな』 と思うこと以外、何もなかったんです。 でも、両親も働かなくてはいけないし、家事もしなくてはいけないし、24時間皆さんの世話を見れるわけではなかったのです。だからその代わりにおもちゃを与えられたり、『テレビを見てなさい』と言われたりしました。私たちは愛や親密感の変代わりにいろんな物を与えられました。 でもそれが愛や親密感でないものであれば、どれだけもらったとしてもすぐ退屈してしまいます。どれだけもらっても 『もっといいのが欲しい』 と思い、もっと刺激が欲しくなります。これを不足原則と言います。そして部屋中がおもちゃで溢れかえっても、まだおもちゃが欲しくなりました。 自立の最終段階では、 『両親が何か冷たいし、わかってくれない』 と思った時に、初恋に出会います。その時に、多くの場合こういうのがあります。『好きだ』と思った時に、ちょっと皆さん初恋を思い出して欲しいのですが、今皆さんの男女関係というのは条件がいろいろありますよね。 女性の皆さんは 『身長は175センチ以上で、体重は65キロまで。年収は650万以上で、車を持っていて……。一部上場の企業で、悪くても店頭公開。大学は関関同立、東京の六大学ぐらいは出ておいて欲しい。あー、言い忘れていたけど、次男! 次男じゃないとだめ!!』 というのが多いですよね。 でも初恋の時を思い出して下さい。そんな事は思いませんでしたよね。 『彼/彼女とずーっと一緒にいたい』 遅い初恋だったら 『彼と一緒に住みたい、それがたとえ四畳半でもいい』。 いろいろな条件なんて、全然なかったですよね。 『愛と親密感さえあればほかは何もいらない』 と思いましたよね。 でも、これはまたあの時に戻ってきたと気づいて下さい。 小さい時、私たちは両親との愛と親密感が欲しかったのです。でも、それは手に入れられないと誤解したんです。 『両親が私たちを嫌っているだろう』 と思ったからです。 そして私たちは恋を始めました。でも、恋を始めた時に一番欲しかったものは、愛と親密感でした。そして『彼/彼女から何が欲しいか』、それは人の数ほど違うんです。皆さんが両親との間でいかに愛と親密感をもらっていないと『ご・か・い』した所から来ています。 ひょっとしたら、皆さんの中には 『両親はああだったから、俺はこうなった』 『家がもっとお金持ちだったらよかったのに』 『親って最低だった』 と思う人がいるかもしれません。それも半分は真実です。でもそれをいまだに親のせいにしていたら、皆さんはまだまだ子供だということです。 なぜなら、皆さんの子供時代がそうだったとしたら、皆さんが自立したらもう親のせいではありません。今からそれを変えていくことは十分できます。皆さんが親からもらえなかったものはたくさんあるでしょう。人間である限り、皆さんが両親からもらえなかったもの、必ずあります。 両親からもらえなかったもの ちょっと考えてみて欲しいのですが、皆さんにとって両親からもらえなかったものは何だったのでしょう。 『もっとかまって欲しかった』 『ほっと愛して欲しかった』 『もっと教育が欲しかった』 両親からもらえなかったものは何だったのでしょう。 ヴィジョン心理学ではこういう格言があります。 『皆さんが両親からもらえなかったものは、皆さんが両親に与えに来た贈り物なんだよ』 なぜなら、両親は誰からも与えられなかったから、それを皆さんに与えられなかったんです。両親がそれをもらってなかったのです。だから、両親はそれが必要だとわからなかったのです。 両親が商売人の息子だから、百姓の息子だから、学校に行かせてもらえなかったとします。だとしたら、教育がどれだけ大事なものかわからなかったんです。だから 『商売人の息子は、百姓の息子は大学なんかに行かなくてもいい』 と言ったんです。両親はそう教えられてきたんです。そういう扱いをされたんです。 皆さんが 『私は両親から十分理解されてない』 と思ったとしたら、皆さんのご両親も親から十分理解されていなかったのでしょう。皆さんがそれをどれだけ欲しかったのかを知っていれば、わかるのであれば、それを贈り物として与えることはできます。 疑い 私たちと両親の間にはたくさんの誤解があります。それが潜在的なパターンになっています。そして、その部分を映し出します。 男女関係・対人関係には、皆さんの親子関係が反映されます。私たちが小さい時にすごく親密だった関係、ご両親と皆さんの関係、いつも一緒だったという感覚が反映されます。 私たちが小さい頃の親子関係は『好き・好き・好き』だったんです。それがある時に心理的に距離が離れました。でも、私たちの対人関係の一番親密だった人は実は両親だったんです。 そして、愛と親密感を手放した時に今度は、もう一度あそこに帰ろうと思うんですが、それは両親ではなくてパートナーシップ、男女関係でです。 そして今度は、彼/彼女のもとに歩んで行きます。でも、ここで大事なことは、 『両親と何かが原因となって距離を置き始めた』 ということです。そして彼氏や彼女に近づいていこうとすると 『迷惑じゃないかな』 と思うんです。 『おまえは橋の下で拾われたんだよ』 とよく言われた人は、 『私は彼女にとって迷惑じゃないかな』 『生まれてこない方が良かったんじゃないかな』 と思います。 ここですごく両親と距離を取った人は、彼氏や彼女に近づいて行く時に、両親と距離を取った時と同じ心理的状況に入って行きます。ここに入ってきた時に、 『彼女にすごく迷惑がられないか』 と思います。そしてもっと近づいていった時に 『私で本当にいいの?』 と思います。 『愛される価値があるのだろうか?』 と思います。ここで、 『本当に私のことが好き?』 『本当に、本当に、愛してる?』 と100回聞いても疑ってしまいます。 そして、一歩近づく度に、私たちが潜在的に傷ついてきた部分を男女関係で取り戻そうとします。なぜなら、親密感が鍵だからです。私たちの親密感のルーツは、実は私たちと両親との関係から来ています。そこで 『私たちにどんな痛みがあったのか』 というのが、もう一度親密感を取り戻していく時に、『疑い』という形で何層にも何層にもわたって出てきます。 投影の法則 心理学では投影の法則というのですが、私たちが愛というものは実は私たちが経験した事なのです。 『なんか悪い人みたいだなー。人の顔も見ないでこんな事してるのは悪い人に違いない。だって、昔そういう奴がいたもんな。私をだました人に似てる』 というようなものです。 例えば女性の皆さんにはこういう経験がありませんか。思春期の時に、小学校の時まではお父さんといつも一緒にお風呂に入ってたんだけど、中学生になったら 『お父さん、お風呂のぞかなでよー、もうー。エッチなんやから。あぁー、私のパンツなんか触って、もうー、止めて』 というような経験はありませんか。 この場合、皆さんはお父さんがとってもエッチだと思っています。でも、ちょっと皆さんに言いたいのは、お父さんは皆さんが小学校の時に同じ事をしていましたよね。覗くどころか皆さんと一緒にお風呂に入ってました。皆さんのパンツを持って洗濯機の中に入れることもあったでしょう。その時にはエッチだとは思いませんでしたよね。でも、中学生ぐらいになると『お父さんはエッチ』だと思い始めた。どっちがエッチなんでしょう? 私たちですよね。 私たちはありとあらゆる所で心理学の投影の法則を学んでいきます。でも、これは『すべてが自分のことなんだ』ということを取り戻す、そういうやり方なんです。 心の鏡 皆さんは外出される時に、自分がどんな顔をしているのかを知るために鏡を見ますよね。鏡を見ないと自分がどうなっているのかなんて全然分かりませんよね。じゃ、心の鏡があるとしたら、それは何だかわかりますか。 それは人なのです。 『人はどうしてるだろう』 『みんなはどうしてるんだろう』 気になりませんか。 もし、 『今からアップテンポの曲を流すから、みんなでダンスをしようよ』 と言ったら皆さんは 『みんなはどうしてるんだろう』 と周りの人を見渡します。必ず人が気になるんです。 『私は人と比べてどうだ』 『近所の人からこう見られてるよ』 と両親からよく言われました。 『そんな事したら近所の人が笑ってるよ』 『なんていわれてるか知ってるの』 そういう事ってしょっちゅう言われましたよね。 実は両親もこう言われながら育ったのでこういう言い方をするのですが、私たちもこう言われて何かやっぱり気になってしまう。でも、これは自信の無さから来ています。 私たちは人を見て自分の位置を決めます。会社でも対人関係でも、 『彼は私のことをどう思っているのだろう』 と思います。『私が彼のことを好きだ』という気持ちは彼がいてもいなくても実は一緒なのにもかかわらず、 『彼が私の事を愛してくれたら私も彼を愛するわ。でも、もしそうでなかったら、私から行くのは嫌よ』 と思いませんか。 初めて告白する時、口から心臓が出そうになります。 『どうしようかなー、どうしようかなー。99%みんな大丈夫だって言ってくれてるけど…。彼も"あなたのことが好きよ"って言ってくれてるんだけど、もし0.001%の否定される可能性があったとしたら…』 そうして私たちはこう思います。 『期待しないでおこう、期待しないでおこう』 『期待してもしうまく行かなかったら、傷つくのは自分だし、馬鹿みたいだから、期待しないで生きていこう』 と大人はこんなふうに考えます。 ただ、何かあった時にみんな 『自分からやるのは嫌 !!』 と思います。 男女関係でも、 『自分から絶対に告白しないよ。相手に告白させるのは得意なんだ』 という人は、 『とっても怖がりなんだな』 と思って下さい。 『ちっ、失恋した、また次ぎ行くか』 という人にはこんな技は必要ありません。でも多くの人は『いかに相手から言わすか』ということがとっても大事になっています。なぜなら、傷つくのが恐いからです。 ここでとても大切なことは、私たちにとって人との関係が自分の心の位置が分かる鏡になっているということです。人との関係というのはとても大切です。でも多くの人が最大に恐れているのは、人から拒絶されることです。このルーツは私たちが両親から拒絶されてきたという誤解から来ています。 そして、私たちは嫌われない様に一杯いろんな事を覚えましたよね。 例えば、『こんにちわ』と言われれば『こんにちわ』、手を差し伸べられれば握手をする。『これをしておけば嫌な奴だと思われない』 ということをたくさん身に付けてきました。 私たちは本当に嫌われない様にいろんな事をやりました。これを補償行為と言います。特に日本人はたくさんやります。 実は、私は養子なのですが、小学生の頃、学校から家に帰る途中に近所のおじさん・おばさん達によく会いました。そして、いつも挨拶をしていたんです。 初めは、ただしていただけなのですが、ある時、1人のおばあさんに、 『平のお坊ちゃんは、いつも帽子を脱いで、挨拶してえらいねー』 って言われました。それから 『挨拶はしないといけない』 と思うようになりました。 そして、ある日挨拶をしないで帰った時、 『あぁー。あのおじさんは今頃どう思っているかな。怒ってないかな。嫌われてないかな。礼儀知らずと思われてないかな』 とすごく気になったのを覚えています。 私たちがなぜこんなにたくさんのことをやっているのかというとその下には必ず、 『嫌われたくない』 『誤解されたくない』 というのがあります。でも、ここで鍵となるのは私たちが 『いかに傷ついている部分を隠して、その土台の上にいろんな事をやってきたのか』 ということです。 感情 潜在意識・無意識という言葉からこの話が始まりましたが、潜在意識・無意識というのは実は感情でできています。4%というのは理性です。 皆さんの中に『私は恋愛を理性的にするわ』という人がいらっしゃいますか。 『私の恋愛は非常に論理的よ』 という人がいますか? いませんよね。 恋愛は感情でします。だとしたら、恋愛はとても面白いことのオンパレードだと思いませんか。男女関係というのは、理性ではかれないことがたくさんあります。 例えば、彼氏と付き合って4週間目。今日は彼が仕事で疲れたみたいでデートはなし。お昼の12時くらいに、『起きた?』って電話するんです。ひょっとしたら彼がデートに誘ってくれるかもしれないと思います。 『疲れてるんだよー』 と言われてすぐに電話を切ります。4時くらいにまた電話します。 『もうとっくに起きてるよー』 と言われます。そして6時くらいに 『何食べてるのー』 と電話すると 『おまえは俺の両親か、うるさいなー』 と言われます。 そんな言い方をされても、夜の11時になるとまた電話したくなります。 『また電話したら何て言われるだろう。3度目の電話でああだったんだから……。電話しようか、どうしようか…』 まったく気持ちを押さえることができません。でも、電話したいですよね。 『僕の好きな彼女が、営業とはいえ、あのセールスマンにやたら笑いかけてないか。今日、僕には一度も笑ってくれないのに。話が長くないか、もう早く切り上げろよ』 営業だから笑顔で話しますよね。 こんな事も一杯起こります。男女関係は理性でははかれないことばかりです。でも、こういう事は男女関係だけで起こるのではなく、他の多くの場合も、感情が私たちを苦しめています。 多くの大人たちは 『頭で分かってるんだけど、できないんだ』 『そうした方がいいのはわかってるんだけど、できないんだ』 と言います。なぜそうなのでしょうか。 それは感情の部分が鍵になっているからです。 我々が主にすることは、理論的に、学問的に心理学を学ぶよりもこの感情について学びます。でないと、どれだけ学説的に皆さんに教えたとしても、皆さんは 『頭で分かってるんだけど、できないんだ』 と言います。 ホームランを打つ本、100冊読みました。でも、バッターボックスに立ってもホームランは打てません。体験がすごく大切です。 水泳を初めてする時に、どれだけ水泳も本を読んでも水に顔をつけるのは恐いです。みんなそうだった様に。 ここでは、どれだけたくさんの理論を勉強しても全然役に立ちません。4%の中でぐるぐる回っているだけです。それよりも私たちにとって、感情を見ていき、これを癒すことをした方がとっても時間の効率がいいです。私たちの感情というのは潜っています。そして影から私たちを動かしています。 感情の目的 これは犯罪心理学の領域なんですが、 『中学生の息子が暴走族に入ってて、家で金属バットを持って暴れるんです。テレビを見て嫌な気分になっただけで、家の中がめちゃくちゃなんです』 という親御さんがいます。金髪の息子は、彼は一体何をしていると思いますか? 彼をひっつかまえて 『なんてひどいことをするんだ、止めなさい』 と言っても止めません。やくざの親分を連れてきて 『止めないとぶっ殺すぞ』 と言ってもらえれば止めるかもしれませんが、それは心から『止めたい』というのではなく、恐いから止めるだけです。そして 『あんな親分連れてきやがって』 とまた暴れ出します。これでは抜本的な解決になりません。 彼の感情を見ていくとこうなります。 なぜ彼が暴れているのかというと、それは彼がやっていることで彼が得られるものが、実は彼を苦しめている感情だからです。 多くの場合こういうふうになると、ご両親が自分の息子を刺し殺したりしますよね。そういう事件は一杯あります。 彼は 『自分は家族の迷惑だ。家族の癌だ』 と知っているのです。だから 『自分はいない方がいいだろう』 と思うんです。だから 『自分は死んだ方がいいんだ』 と思っています。だから彼の無意識は 『俺は自分が家族の癌だと知っている。でも自分では死ねないから、これくらいひどいことをやったらもうそろそろ殺してくれるんじゃないかな』 と思っています。彼は殺されるのを待っているのです。 この話はどんな心理学の教科書にも載ってないでしょう。でも、事実です。感情を見ていって、癒していかないとこういう子供は直らないのです。彼らは、本当に 『自分達は愛される価値がない』 と思うから、愛されないことをするんです。 男女関係で、彼に新しい女ができたとします。でも、あなたは彼から愛して欲しい。彼が違う女に心が行ったと思うから、傷つきます。 『何で、あんな女の所へ行くのよ!!』 と言って、ひどく彼を攻撃してしまいます。そんな事をしても、余計に彼が遠ざかっていくにもかかわらず…。 仮に感情というものに目的があったとしたら、何だと思いますか? それはただ、その感情を感じて欲しいだけです。それを理性で押さえていると、傷つきもしませんが、感動することもなくなります。どれだけ自分が愛されているのか、分からなくなってきます。自分がどれだけ必要とされているのか、どれだけ自分が相手から認められているのか、ということを感じれなくなります。 愛をまったく与えられなかった子供と、愛がまったく感じられなかった子供がいたとしたら、2人とも同じように愛情を感じられないと思いませんか。感情とは感じるものです。しかし、私たちは自立(大人)するにつれて、2つ罠にはまります。 罠とテスト 私たちが愛されている、必要とされていると感じれなくなったら、どうすると思いますか? 『私のこと愛してる? 本当に?、でも信じられないなあ。口だけなら何とでもいえるからね。本当に私のことを愛してるんだったらこのハードルを越えれるんじゃないの? 跳んだわね』 『じゃあ、本当に愛してるんだったら、次はこのハードルはどお? まあ、それぐらいは跳べるわよね。じゃ次はどお? このハードルは? これはちょっと高いわよ、ほー、跳んだわね、過去4人だけだったわ。でも、これは跳べないでしょう?』 とするんです。 そうすると彼の方は 『何で僕の前にこんなハードルを置くんだ? もちろん君のことを愛してるからこのハードルを飛び越えるよ。おいしょっと。これを跳ばすなんて、恐いけど跳ぶぞ。頭から落ちて死なないかな。えーい!! はぁ、はぁ、はぁ、何とか跳んだぞ。もうこれでいいよね』と必死でハードルを越えようとします。 でも、もっと高いハードルがきたら 『もういいよ』 と思いますよね。 そして彼女の方は 『ほーら、私のことを愛してないじゃない。危うくだまされるところだったわ』 と思うんです。 でも、これは私たちみんながやることです。ここまでやってくれないと愛されてると感じられないからです。 でも、もし彼がこれらすべてのハードルを跳んだ後、彼ってどうなっているか、皆さんわかりますか。 『やった!! こんな高いハードルを跳んでくれるなんて、やっぱり彼は私のことを愛してくれてるんだわ』 と彼女が思った時には、落っこちて首の骨を折って死んじゃってるんです。彼はもう疲れきってしまっています。もうここでは、男女関係はもてなくなっています。私たちは往々にして、愛されているとか必要とされているとかわからなくなっています。 やけどの女の子 ここには、いろいろな感情が詰まっていますが、具体的な話を1つしましょう。 今から4年くらい前に 『私やけどなんですけど、治りますか?』 という電話がかかってきました。私の所にはいろんな電話がかかってきますが、これは特に変わった電話でした。 『はぁ? 電話する所を間違えてるんじゃないですか?』 というのが私の第一印象でした。 『うちは美容整形でも、整形外科でもないのに、何をしろって言うんだろう?』 と思いました。 それで話を聞いてたんですが、 『これは私が治すことができる』 と思いました。そこで、 『あなたが思っているやり方とは全然違うけども、治すことができるよ』 と言いました。それで、会うことになりました。 そして、もう一度 『あなたの思っているやり方とは全然違うけれども治るよ。それでもいいよね』 と尋ねると、彼女は 『治るなら何でもいいです』 と言ったので、セラピーを始めました。 彼女は3才の時にお母さんが間違って、事故で彼女に熱湯をかけてしまって、けっこう幅広く体の左側に上半身から下半身にかけてケロイド状にやけどの跡が残っていました。左足の親指と人差し指はくっついてしまっていました。そしてケロイド状のやけどを治したいというのが彼女の依頼でした。 そして私は 『どうせやるんだったら、やけどだけじゃなくって他の問題も全部片をつけようよ。やってみましょうよ。ほかにはどんな問題がある?』 と彼女に言いました。すると彼女は 『やけどがある、彼氏がいない、金がない、お母さんとの仲が最悪です』 と、この4つをあげました。そこで私は 『これらが、別々の問題だと思うかもしれないけれども、実は全部同じ問題なんだよ。だから根っこから全部解決しましょうよ』 と言いました。 彼女はよく分からなかったんですが、 『やけどが治るんだったらまぁいいか』 という感じでセラピーを始めました。 そして彼女の無意識を見ていきました。 3才のやけどの部分からセラピーを始めたのでやけどのルーツについて聞きました。 3才の時の記憶というのは、私たちはみんなハッキリしていないけれども、実は私たちは記憶をすべて覚えています。意識的には忘れていることはありますが、潜在意識・無意識というのは記憶の倉庫になっています。そこで、無意識の部分にアプローチをして、その時の感情を引っ張りあげてきました。そして彼女の痛みの部分を見ていきました。 彼女にとって、3才の女の子にとって欲しいものは親との親密感、それだけなんです。『いつも両親から可愛がってもらいたい』、それだけなんです。その女の子がやけどをした。 皆さんがもしお母さんの立場だったとしたら、自分の本当に可愛い3才の女の子に一生残るケロイド状のやけどをさせてしまったら、どう思いますか?  『私はなんて事をしてしまったんだ。自分の可愛い娘に、こんな傷を負わせてしまった。どうしよう』 とお母さんは思いました。 そして、お母さんは彼女を見るたびに一生残るやけどを思い出して自分を責め始めました。でも、3才の女の子が3才の頭で 『やけどは熱かったけど、お母さんといつも遊んでもらいたい。でもあのやけど以来、私とは全然遊んでくれない。いつも沈んでいる。"遊んでよ"って言っても、"後で"と言って全然遊んでくれない。どうしてなんだろう。このやけど以来。そうか、このやけどっていうのは、確かに私が見ても醜くて汚いやけどなんだけど、お母さんすら嫌う、遊んでくれないほどのやけどなんだな』 と思っちゃいました。これを観念といいます。大人の頭ではないんです。3才の女の子の頭で考えたらこういう理屈になるんです。 これが彼女を支配する観念になっていて、憲法みたいになってしまいました。私たちにはたくさんの観念があります。この観念を持ったまま、 『やけどを持った私はお母さんすら愛してくれないんだ』 という観念を持ったまま、彼女は成長して行きました。 でも彼女はすごいべっぴんさんでした。中学校から高校にかけてラブレターを山ほどもらったそうです。そしてそのラブレターには 『あなたはとてもきれいですね。あなたみたいなきれいな人は見たことがありません。どうか私とお付き合いして下さい』 と書いてあったそうです。そんなラブレターを見た時に彼女は 『きれいな私が好きなんでしょ。私がきれいだからということはこの人はきれいな物が好きなんでしょ。だったら私はだめよ。上手に隠しているけど、私には本当に醜いやけどがあるんだから。だったら、もしこのやけどが見つかったら、きれいなものが好きな人は私のことを愛してくれるはずがない。きっとがっかりして、嫌われてしまうわ』 と思い、誰一人にもラブレターを返しませんでした。 彼女が20才になった時、自分の幸せや結婚について考えました。その時、彼女が取るべき道は1つだけでした。それは美容整形でやけどを治すということでした。そして病院に行った所、皮膚移植を伴なう美容整形を使わない限りやけどは治らないということでした。保険はききませんから800万〜1200万のお金がいると言われました。 そして彼女は20才の時から、朝・昼・晩と働いてお金を貯めたそうです。でも手術するには十分のお金が全然貯まらない。そして、1年たってクタクタになった時に私の所に電話をかけてきました。 そしてその頃には 『お母さんのせいで私は幸せになれない』 と思い、お母さんをさんざん攻撃し 『私がこんな嫌な思いをするのもお母さんのせいよ』 とさんざん責めてきました。 彼女をセラピーして、感情を扱ってこう言いました。 『あなたの心には2人のあなたがいますよね。1人は、左側はやけどを負ったかわいそうな女の子がいます。そして右側には、やけどを負った女の子を本当に攻撃して、あなたを嫌っているあなたがいる。世界で一番誰よりも本当にあなたを嫌っているのはあなた自身ですよね。あなた以上にあなたのやけどを嫌っている人はいない。あなたの心の中では、お母さんを攻撃してるのは、左側のかわいそうなやけどを負った女の子か、それとも右側のあなたを嫌っている女の子のどっちなんだろうね。右側のあなたを嫌っている方ですよね。だったらあなたのお母さんはやけどの女の子と同じ部分と同じ痛みを持っているんではないですか、同じ苦しみを持ってるんじゃないですか』 という話をしました。 これは潜在意識レベルなのですが、潜在意識にアプローチをして、彼女が本当に無意識の領域に入って行った時、彼女は気づき始め、記憶がよみがえったのです。 その時の記憶はこうでした。実は、彼女はお母さんがお湯を持った瞬間におちゃらけて足にタックルしたんです。その瞬間にお湯がこぼれてしまったんです。 真実はこうです。彼女はお母さんがとっても好きだったんです。そのお母さんが私がおちゃらけて、やけどをしてしまった。自分に責任があることで、お母さんが毎日毎日、本当に元気がない。3才の彼女は 『お母さんがあんなふうになってしまったのは自分のせいだ』 と思ってしまったんです。そしてお母さんが元気がないのを見るたびに、 『自分はなんて悪い女の子なんだろう。自分には幸せになる権利がたぶんないだろう。お母さんを本当落ち込ませてしまうくらい私はひどい女の子だ』 と思いました。だから彼女の恐れはこれの投影で、男性を見た時に男性が落ち込むことがなによりの痛みでした。だから万が一、やけどが見つかって、彼がショックを受ける事に絶えられなかったんです。 『またお母さんと同じように男性を落ち込ませてしまうんじゃないか』 という事が彼女の最大の恐れでした。 自分の罪悪感を隠していたんです。お母さんを攻撃している限り自分の罪悪感を見なくてもすむからです。でも、彼女がこの事に気づいた時、本当に 『お母さんのせいではなかった。すべて自分のせいだったんだ』 と思いました。そして私は彼女に 『1つ宿題があります。あなたはこのやけどを隠すという生き方を21年間して来ましたよね。その生き方はあなたを幸せにしましたか』 と尋ねました。 『ぜんぜん』 というのが彼女の答えでした。 『じゃ、今日あなたに1つ宿題を出します。お母さん以外の誰かに、誰でもいいですから、そのやけどを見せて下さい』 と言いました。 彼女は 『それだけは嫌です。それ以外のやり方でお願いします。それだけは嫌』 『でも、それ以外の方法は全部試しましたよね。でも幸せにはなりませんでしたよね』 『でも、私にとってはやけどを見せるのが死ぬほど嫌なのよ。だから朝・昼・晩働いてお金を稼いでるんじゃないの』 ヴィジョン心理学のある段階には、『デッド・ゾーン』という場面があるのですが、そこでは、 『それだけはいや、そんな事をするんだったら死んだ方がまし』 という事をやってもらわなきゃいけない、そうしないと次に行けないという法則があります。彼女の場合はここが『デッド・ゾーン』でした。 『でも、やって下さい。このやり方があなたの人生を変えますよ』 と言った時に、今までの4年間のセラピーで信頼関係があったので、 『わかった』 と言ってくれました。 そして、そのまま彼女は帰って1年間連絡がありませんでした。こういう仕事は『音沙汰がないのは良い証拠』で、私も彼女がどうなっているか忘れてる頃に1枚の葉書が来ました。それは皆さんももらわれた事があるかも知れませんが、ウェディングケーキを切っている場面の写真が載っている『結婚しました』という葉書だったんです。私も初め彼女だとはわからなかったのですが、下に『近くにおこし際は来てね』と書いてあったので(本気にして行ったら嫌われるあれです)、電話をかけてみたんです。そしたら覚えていてくれてその後の話をしてくれました。 以下はその時電話でしてくれてた話です。 彼女はセラピーが終わってから私の宿題をちゃんとしてくれたんです。 『誰にしようかな、誰に見せようかな』と思った時に、2年間彼女が『イヤ』としてても、近づいてくる男性がいたんです。そのボーイフレンドに見せたいと思って電話をしました。 そして彼女は 『あなたは本当に私によくしてくれる。でも実は私には秘密がある。そして本当にあなたは私によくしてくれるから、その秘密を今晩あなたに教えるわ。でも、お願いだから嘘だけはつかないで。その秘密を見てあなたが本当に私の事を嫌いだと思ったら、"嫌い"って本当の事を言って。私は同情なんてして欲しくないし、中途半端な気持ちじゃなくて、あなたの本当の気持ちが私にとって真実だから。嘘は私が一番嫌な事だから。でもこれは本当にあなたにとって重大な事だから……。じゃ来てね』 と言って電話を切りました。 多くの男性がもし、皆さんの彼女からこんな電話がかかってきたらどう思いますか。最悪のモードに入って、最悪の事態に備えますよね。 『今まで女だと思っていたけど実はおかまだったのだろうか。そうじゃないな。ひょっとしたら背中1面に刺青なんかが入ってるんじゃないだろうか。いや、すごい秘密だと言ってたよな。何かなぁー』 と思って彼は彼女の家に行ったんです。びくびくしながら。 そして彼女がやけどを見せた時に、彼はこういう態度でした。 『へ!? やけど!? やけど!? もうびっくりさせんといてーな。何かと思ったやんか。びびったやんか』 と言いました。 でも、もっとびっくりしたのは彼女の方でした。やけどを見て嫌わなかったのは彼が初めてだからです。見せたのも初めてでした。 『嫌わないの? こんなに醜いのよ』 『いや、そこらへんにしとけよ。それはみせすぎだよ。もう、どうでもいいから。僕にだってお尻にあざがあるよ、ほら』 という感じでした。 彼女はびっくりして、もう目がハートになりました。 最大の恐れというのは真実ではなかったんです。そして彼に恋をしてしまって、1年後のウェデイングケーキになったんです。 そして彼女はこう言ってくれました。 『私結婚式の時にね、裁判官になった気がしたのよ』 『何で裁判官なの?』 『最後の花束贈呈の時、お母さんに花束を贈呈するためにお母さんの前に立った時に、3才の時以来お母さんは私が一生結婚できないんじゃないかとか、私が一生幸せになれないんじゃないかとか自分を責めてたんだという事に気づいたのよ。そしたら、今日私は裁判官だと思ったのよ。 "お母さん、あなたは無罪だよ。あなたの娘は幸せになったし、結婚もできたし、あなたがひょっとしたら私が一生幸せになれないんじゃないか、一生結婚できないんじゃないかって自分を責めてたあの牢獄から今日出られるんだよ。お母さん、あなたの恐れは真実ではなかったよ。お母さん、今日からあなたは牢獄から出でてもいいんだよ" と思ったのよ。そしてお母さんに花束をあげて、2人でわんわん泣いちゃったの。20分間も泣きつづけてたから、次の新郎新婦のスピーチが20分もできなかったのよ。でも、本当にみんなが拍手してくれていい結婚式だった』 と言ってくれました。 そこで私は 『という事は、1年前にこういう約束をしたのを覚えてる? あなたのやけどは全然治ってませんよね』 『もちろん』 『でも治りましたよね』 『ま、もうどうでもいいからね』 『彼はできたよね』 『もちろん、結婚したしね』 『じゃ、お母さんとの仲も良くなったみたいだね』 『おかげ様で』 『お金は?』 『私1年間、朝・昼・晩働いて400万貯めてたの。でも、800万や1200万には全然足らなかったけど、ヨーロッパ一周の旅行もできたし、新婚旅行もできたし、結婚式もいい所で挙げたし、私はちょっとしたお金持ちだったわ』 『じゃ、あの4つは全部解決したんだね』 3才の時に、やけどの女の子は 『お母さんすら愛してくれないぞ』 と思いました。これは誤解でしたよね。でも、彼女にとっては真実だったのです。そしてこれは彼女の恐れでした。そして今の話にも誤解が一杯あります。皆さんは体にやけどを持っていらっしゃいません。でも私たちは必ずこの部分を、自己嫌悪という形で持っています。 自己嫌悪・無価値感・犠牲 私たちが対人関係を作る時に2つの事があります。 1つは、男女関係で特に出てくるのですが、お化粧をきちんとして、服装を整えて、アクセサリーを友達から借りて、お母さんのいい指輪まで借りて、 『一番いい自分を見せたい』 と思います。自分の一番いい部分をピーアールしたいと思います。 男性なら、レンタカーを借りて、友達からいいスーツを借りたり、無人君でお金を作ったりします。一番いい自分を見せたいと思います。 でも、もう1つあります。そしてこっちの方がより大事です。 『自分でも大嫌いな自分がいる。でもこの部分は彼/彼女には愛してもらいたい』 と思うんです。この部分は誰からも愛されてこなかった部分、だからこれを見せても彼に愛されたい。それほど彼には、彼女には 『この部分を愛してもらい』 と思っているんです。 この部分は自分でも大嫌いだから、彼/彼女には愛して欲しいんです。でも、こんな部分を見せたら彼はいなくなってしまうかもしれない。だからハードルのテストをしたんじゃないですか? 『このハードルを跳んで、このハードルを跳んで。これくらい跳んでよ。これくらいでくたばっていたら、私のこの部分を見せたらびっくりしてすっ飛んでしまうわよ。きっと、しっぽをまいて逃げるわ』 やけどの女の子のやけどの部分です。 人間である限り誰でもやります。でもここで本当に大切な事を忘れています。それは 『彼にも、彼女にもこの部分がある』 ということです。そしてあなたの差し出す理解を待っているのです。 私たち全員こう思っています。理解されない寂しさを持っています。本当に自分というものは理解されていないと思っています。そして 『本当に誰かが自分を理解してくれないものだろうか』 と思っています。ずっと思ってきました。そして私たちは 『助けて欲しい』 と言えなくなってしまいました。その代わり一生懸命頑張り始めたんです。 『これだけやったら、誰かが気づいてくれるかもしれない。これだけ頑張ったら自分の中にある痛みを見て、手を差し伸べてくれるかもしれない。"もう休だ方がいいんじゃない"と誰かが言ってくれない限り私は一生働きつづけるだろう。誰かが"もういいよ"って言ってくれるまで私は自分で自分を止める事はできない』 そして私たちは誰かを待っているんです。そして決して自分には許可をしません。 私たちは誰かを待っているのです。そして皆さんが誰かと出会うのです。でも、多くの場合、私たちは、男女関係の初期では今まで私たちがもらえなかったものをもらおうと思います。でも、彼も彼女もあなたからもらおうと思っているのです。 そして限界が来ます。 『あなたは私の持っている荷物を持ってくれると思っていたのに、あなたも荷物を持っているじゃないの』 と思います。 でも、みんながそうなのです。そしてここでは、誤解に次ぐ、誤解に次ぐ、誤解に次ぐ、誤解のオンパレードです。 皆さんにはやけどの女の子のように、やけどはないかもしれません、でもこのやけどの女の子が見せてくれた誤解と恐れと無価値感、これらは私たちみんなが持っているものです。そして、たとえやけどの女の子が美容整形でやけどを治したとしても、 『この整形がばれないか』 とか 『私の過去を知っている人がいないか』 とか 『もしばれたらどうしよう』 とか一生びくびくして生きていく事になると思いませんか? お風呂には絶対に一緒に入らなかったり、ベッドで隣になる時は必ず電気はつけなかったり、すごく不自然になると思いませんか? でも、やけどがありながらやけどを癒す事はできます。外を変えるのではなくて中を変える事が1つの答えなのです。 これはよりよくなるための答えです。人によってはこんな話をすると 『私には別に問題はないわ』 という人がいます。 『ここは問題のある人しか来ては行けないのかな』 と思う人がいるかもしれません。 皆さんに提案します。スポーツジムというのは体の弱い人が行く所でしょうか? もちろん体の弱い人もいますが、より健康になりたいと思っている人も行きますよね。 私たちは、心理学=精神科・精神病というふうに考えられがちですが、そういう考え方は日本だけなんです。アメリカではカウンセリングの文化がありますから、私たちが風邪をひいて病院に薬をもらいに行くように、よりよくなるために心理学をどう使うかと考えます。そしてカウンセリングというのはその使い方の1つです。 心理学は一杯使えます。心理学ではなくて、私たちの無意識・潜在意識というのは活用方法が一杯あります。その使い方は人それぞれです。 ただ皆さんの人生をより豊かにするには、より人生にロマンスがあって、幸せで、より楽になるために 『もっと頑張りなさい』 とは言いません。ブレーキを落とす事を考えましょう。 『頑張りなさんな』 『高望みをして下さい』 『自分をちっぽけに扱わないで下さい』 と私達は言います。 人間の成長モデル〜成長の三角形〜 依存時代 私が学んだヴィジョン心理学には、『成長の三角形』人間の成長モデルを描いた図形があります。 もし心理学について少しご存知の方ならば、ヴィジョン心理学とはこの三角形の成長モデルというのが本とか雑誌ではよく言われているのをご存知かもしれません。 これは私たちが成長するに従って通る地図です。ですからこの地図にはどこでつまずいて、どういうこけ方をするのかという事を全部書いてあります。 まず、私たちの依存の時代というのは、子供時代だと思って下さい。子供というのは自分で稼げない、赤ちゃんはおむつも換えれない。だから誰かに依存しなければいけない。 ここは『ロマンスの時代』とも言います。小さい赤ちゃんの時は何をしても 『可愛い、可愛い』 と言われている時です。男女関係では『あばたもえくぼ』の時代ですね。将来的には 『すごく暴力的な嫌なおっさん』 と思うのですが、 『なんてたくましい男性なんでしょう』 と思う時代の事です。 ロマンスの時代があって、2番目が先程言った 『自分は愛されていた。でも、今はもう何かしないと愛されない』と思う原体験ができる、すごく傷ついてしまう時代が次のステップです。 男女関係なら、 『最近彼って冷たいんじゃない。最初の頃は送ってくれてたのに、最近は電車で帰れって言うのよ』 という感じです。 新入社員であれば 『みんなが期待してくれてる、社会人として頑張るぞ』 と思い、ロマンスの時代ですから上司が食事をおごってくれたり、 『いいよ、いいよそんなことできなくても。はじめはみんなそうなんだから』 と言っていたのが、4ヶ月くらい経つと、 『そろそろ君も仕事を覚えてくれないかね』 とか、 『いつまでもあなたにかかりっきりになってられないわよ。私にも仕事があるんだから』 とか、 『そろそろ残業してもらいますよ』 とか言われるのがこの段階です。でも仕事もよく分からないから、あなたに仕事を教えてくれる人の気分次第で、今日のあなたがブルーなのかハッピーなのか、お母さんの機嫌次第であなたの機嫌が決まるといった具合です。 私たちの幸せは依存時代には、『この人しだい』です。だから私たちは子供時代よくこう思いました。 『なんで私はもっとお金持ちの家に生まれてこなかったんだろう』 とか 『クラスメートの山田君のご両親のもとに生まれてきたら私はもっと幸せだったんじゃないだろうか』 と思います。 ここでは、環境とか自分が置かれたもの、『自分が依存しているもの』の欠点ばかり見えます。でも、この人がとっても好きで大切だから『良い子』になります。 『僕(私)お父さんの事が好きだから勉強を一生懸命するよ』 とか 『悪い所があったら言ってね、あなたのために直すわ』 と言います。 ここでは無価値感と言うのですが、 『自分に価値がない』 と思うから 『愛されるためには何かしなければならない』 『認められるためには何かしなければいけない』 という観念ができます。これは心理学で補償行為と言います。 そして私たちは一生懸命頑張りました。ところがあの馬鹿ときたらそれに輪をかけて 『もっと勉強しなさい』 とか 『もっとお手伝いしなさい』 とか言って、私たちは 『私がこんなに頑張っているのに全然認めてくれない』 と思っちゃうんです。 自立 そして私たちは、小学校4年くらいから中学生になるにつれて反抗期に入ります。ここで 『もう人には頼らない』 と思うんです。ここは、『期待のステージ』といいます。別名『期待外れの恨み・つらみのステージ』と言います。 ここでは 『あなたに期待したけど期待外れだったわよ』 とか 『がっかりしたわ』 と思い、 『もうあなたに頼らない』 となります。 依存時代に、依存した人からもらえなかった度合だけ 『自分で手に入れよう』 と思って、自立を強く求めます。すごく自立が強いというのはその分だけ、依存の時にすごく傷が大きかったという事です。ゴルゴ・サーティーンというのはすごく自立してますよね。 『感情なんか感じないぞ』 っていう我々のの敵みたいな人ですけど、彼は小さい時にすごい経験をしてるわけです。『依存の時にどれだけハードな経験をしたか』という事によって、ゴルゴ・サーティーンとかダーティー・ハリーのような自立の度合が決まります。 自立に入ったら、依存の時をこう思います。 『自分は人に迷惑ばかりかけてきたな』 と思います。だから自立の時には『いかに人に頼らないか』とか『いかに人に迷惑をかけないか』という生き方がベストなんだろうと思います。それは依存の時の古傷からそういう生き方を私たちは学びます。そして両親に対しても、周りに対しても、会社に対しても 『みんなの足を引っ張りたくない』 と思います。 そして私たちはここで完璧主義者になります。 『完璧にやろう、がんばろう』 と思います。そして多くの人が完璧主義者というと何でも完璧にできる人だと思うでしょう。でも、それは真実ではありません。完璧主義者というのは何でも完璧にその物事を成し遂げるか、完璧にできない事にはまったく興味がないから何もしません。だから、多くの完璧主義者というのは何もしません。なぜかというと、完璧に成せない事に意味がないからです。 多くの場合、 『自分は不精だな。何もできないな』 と思う人は実は完璧主義者である事が多いのです。でも、そんな人は何かマニアチックに好きなものがあります。パソコン、ファミコン等1日中していても飽きない。おたくぶりを発揮します。そういう部分では天才性を発揮します。 次ぎは『期待外れのステージ』から『いかに自分のやり方を確立するか』というステージです。ここでは 『私のやり方で行きます』 となります。だから 『私のやり方で行くのか、それともやめるのか』 『俺のやり方でしないのなら、どっか行け』 となります。ここでは『やり方』と『やり方』の戦いになります。すごく頑固です。そして皆さんの経験の中で、皆さんが創り上げてきたやり方というのは概ね正しいです。しかし相手のやり方も正しいのです。だから正しい者同士の戦いになります。まるで宗教戦争のようなものです。 そのやり方は正しいのだけれども、正しければ正しいほど、そこでは激しいけんかが起こります。パワー・ストラグルと言うのですが、ここでは力の争い、やり方の争い、けんかのステージです。 そして最後はデッド・ゾーンです。戦いと戦いに明け暮れた後、私たちは『諦めのステージ』に入ります。そこではけんかはありません。かりそめの平和がやってきますが、諦めのステージです。男女関係で言うと、 『ロマンスがあった。でも期待外れだった。それじゃいけないと思って、いい奥さんになろうとしたけど、あの馬鹿ときたら何も分かっちゃいない。けんかもした。言う事も言った。でもあの馬鹿ときたら開き直りやがって。こんなもんかな…』 という具合です。 『もうロマンスはない。でも周りを見ても、そんな夫婦ばっかりだし、そんなもんかな…』 と思います。 ここでは、戦争もけんかもありません。でも、夫婦の仲が冷め切っているのも知っているし、ロマンスもない。 自立の最後では燃え尽きてしまいます。ここでは残りかすのようにけんかも情熱もすべてなくなってしまいます。そして『義務と役割』と言うのですが 『これをやっておけばいい』 という事が一杯増えます。 仕事人間というのも同じです。ここではすごく忙しい。毎晩飲みに行ったりもします。最後は『死の誘惑』が来ます。『死の誘惑』というのは、実際死んでしまう人もいれば、体を壊す人、事故を使って自分をいじめる人、男女関係ではここで別れる事になります。 『自立』というのは、依存の時にはいろいろな感情を感じていたけれど、だんだん、だんだん感じなくなってここでは何も感じなくなってしまう。だからロマンスも感じられない。だからここの関係が終わって、もう一度ロマンスを感じるために違う人を見つけるんです。 多くの場合、初めて自立のステージの最後まで行くのは時間がかかります。でも一度行ってしまうと、もう一度行くのは簡単です。 無料説明会に来たある人がこの話をした時にやたらうなずくので聞いてみると、 『私は11年かかって、そこまで来ました。そして新しい関係が始まって、今4ヶ月経ったんですがまた同じ所まで来たような気がしてるんですが……。そうなんでしょうか?』 と言われました。 その通りなんです。多分また新しい関係を持つとしたら1ヶ月か2ヶ月で同じ所に来るでしょう。そして多くの人が何回かこれを経験して、 『恋愛というのはこういうもんなんだろうな』 とか 『男とは、女とはこんなもんなんだ』 と思います。ここまでくるとロマンスはありません。 後は打算によって決めます。結婚=金になります。 相互依存 『デッド・ゾーン』にいると、ロマンスに対して絶望があるから信じられないのですが、この次のステージは、前のステージの10倍のロマンスを感じることができると言ったら皆さん信じてくれるでしょうか? 『ここで何も感じれないのに、その次で10倍も感じれるの?』 と言うのが皆さんの率直な感想でしょう。 『結婚7年もやっていて熱々の夫婦なんてあるわけないじゃないか』 と皆さん思いますよね。います。 この話をしていて、身を乗り出して聞いていた40過ぎのおじさんが 『すべてですか?』 と質問されました。 『すべてです』 『セックスも?』 『もちろん』 『……。あのね、うちの女房にね、セックスアピールを感じるくらいだったら私は冷蔵庫の中のボンレスハムを見て興奮するよ』 とおっしゃいました。 そんな奥さんだそうです。でも、私がそう言い切るから 『そう言うんだったら』 と言って、彼は私に挑戦状をたたきつけて、次のワークショップに来てくれたんです。 彼が本当に癒された後、ワークショップが終わって2週間後くらいに、彼から電話がかかってきました。 『すいません。こんなことをきくのも何ですが……。あれ以来1週間で17回もしているんです。これっていつまで続くんですか?』 という電話だったのですが、 『多分もうしばらくでしょう』 と答えました。こういう事も可能です。 どうしてこんな事が可能なのかという話をしたいのですが、私たちはそういう場合、こんな方法を使います。 人間1人、2人がいたら、『私のやり方』というのがあるんです。『男性のやり方』、『女性のやり方』があります。 そして私たちは自立して行くとこう思います。 『どちらのやり方が正しいか』 とけんかをするんです。 カップルがいると、この2人がどちらのやり方をするかという事でけんかをします。もしかりに、惚れた弱みで100%彼のやり方に従うと、彼にとってはそのやり方が常識で当たり前ですが、女性の皆さんにとっては非常識な事も一杯あります。でも言えない。我慢します。 そこでは、女性の方はすごく屈辱感を味わいます。なぜなら男性が自立していて女性が依存している形になるからです。すごくたくさんの感情を感じます。愛されているとも感じますが、痛みもたくさん感じます。でも、いつも『彼の奴隷』になっている感じがします。だから、ある時に大きな反発が起こります。 普通はこんなに極端ではありません。男性が60%、女性が40%ぐらいの割合でお互い妥協します。女性は60%分の不満を男性に持っています。男性は40%分の不満を女性に持っています。五分五分でやっても同じです。このやり方は正しくないんです。 なぜなら、 『どちらの方法でで生きていくか』 というのは皆さんが1人で生きてきたやり方だからです。2人でパートナーシップを取る事が必要なのです。しかし、パートナーシップを取り、愛と信頼を手に入れる時には『疑い』が何層にも、何層にもわたって出てきます。 『本当に愛してる? 愛してる? 愛してる?』 と聞くのと同じくらい 『そんなはずは、ないだろう』 という様な疑いが何層にもわたって出てきます。 ここで大事な事は、両方のやり方が実は間違っているという事です。2人のためのまったく新しいやり方を確立するのが答えになります。2個1が必要です。まったく新しい関係を創っていかないと、このやり方は自立的な生き方だったので、カップルとしての生き方には何の役にも立たないのです。 恐れ でも、ここで私たちは、今までかかってせっかく創り上げたやり方に執着します。なぜかというと私たちは変化が恐いからです。リスクが恐いからです。自分が変わるという事にすごく不安を持ちます。よく私たちは 『このやり方は良くないかもしれない。でも生き残れるじゃないか。新しいやり方をしたらもっと幸せになれるかもしれないよ。でも死んでしまうかもしれないよ。この関係が壊れてしまうかもしれないよ』 と怖がります。だから今のやり方にしがみつきます。それは人間である限り誰もがそう思います。 だからここでは、本当にやり方とやり方の戦いになります。ここから抜けるのはすごく難しい。 例えば、離婚のセラピーなんかをやると、奥さんとご主人がいて、第1ラウンドはお互いが罵り合います。 『け、あんた最低の亭主や!!』 『何言うてんねん、おまえこそ最低の女じゃ!! 朝飯も作らんと、いつも寝てるやないか』 『何言うてんの、あんたこそ……』 と、いかに相手が最低で、いかに相手に傷つけられたかというのが第1ラウンドなんです。 第2ラウンドに入ると 『それでも私は頑張ったのよ。子供も一生懸命育ててるし』 『俺も日曜日は育てるじゃないか!!』 『あなたは日曜日だけじゃない。主婦の仕事にね、土日週休2日はないのよ!!』 という様なけんかになります。 ご主人はご主人で、 『俺も飲み歩いてるけれども、家にちゃんと給料入れてるやろう!! あそこは200,000もらってるけど、俺は214,485円入れてるやろう』 というようなけんかになります。 そしてそれが延々と続き始めて、私は分からなくなるんです。そして尋ねてみます。 『ちょっと質問してもいいですか。奥さん、1ラウンド目にあなたの主人は最低の男だと言ってくれましたよね。いかに最低かというのは聞かせて頂いて、よく分かりました』 『旦那さん、あなたの奥さんは最低の奥さんだといいましたよね。お聞きして、よく分かりました』 『でもわからないところがあるんです。どうしてお2人とも、そんな最低な旦那や妻のために、そんなにも頑張ったんですか?』 すると両方とも、 『そんな事聞かれても……、あのー、そのー』と答えることができません。 彼らの中には、話を始めていくとお互いにいろいろな感情を持っていて、それが出てきます。そしてこういうふうな所に行き着きます。 『お前はなー、何も分かってへんねん』 『何言ってるのよ、あなたこそ何も分かってないのよ』 というけんかになるんです。 『一体何が分かってないんですか?』とどんどん、どんどん突っ込んでいくと、最後にはこういう所に行きます。 『お前はな、何も分かってへんねや。俺がどれだけお前の事を愛しているのか』 『あんたも何も分かってないわよ、私がどれだけあなたの事を愛しているのか』 すべてのけんかはここに行き着きます。皆さんのご両親とのけんかもここに行きつくでしょう。ご両親がなぜ皆さんにがみがみ、がみがみ言うのか? みなさんがなぜ両親がうるさく言うのに、一緒に家にいたりするのか? ここに行き着くんです。面白いと思いませんか? なぜ愛し合っている者同士がけんかしなければいけないのか。でも、愛しているからけんかをするのです。どうでもいい人はどうでもいいと思いませんか? けんかがあるという事はその人には愛があるという事です。そしてその下には痛みがあります。それは相手に愛してもらいと思っている、でも 『愛して欲しい』 と言えない部分があるのです。『こうして欲しい』と言えない所からこの部分は来ています。そして一生懸命やってきたのです。『愛して欲しい』と言えないために。でも、相手が気づかなかったから怒り始めたのです。 でも、私たちはとっても大事な事を言っていません。 『愛して欲しい』 とどれくらい長い間言っていませんか? そしてそれを言うために、本当にけんかを始めました。それが私たちのけんかの力学です。 でもここでは、 『何であんな女房のために!!』 『何であいつのために、腹立つ!!』 と思います。 『何時まで飲みに行ってんのよ!!』 『夜中の2時よ!!』。 どうしてこんなに腹が立つんでしょうね? 本当の感情を隠すための怒り 私が感情の話をしたらある奥さんがこう言われました。 『感情を感じてもいいの? だったら私はもう我慢しなくていいのよね。だったら主人が飲みに行って遅くなったら、"何時まで飲みに行ってるのよ"って言ってもいいの? でも、そんな事したら私たちの夫婦は壊れちゃうじゃない』 そこで私は 『怒りというのは感情の一番上にある感情ですよ。あなたが本当に言いたい事はこうでないですか。"あなたが2時まで飲みに行っていて、私はずっと1人ぼっちで、ほっておかれてると思っていた。私よりもお酒の方がいいの。私はあなたにとって、どんな意味や価値があるの。私は1人で寂しかった" これが言いたかったんじゃないですか。怒りの下には2種類の感情しかないですよ。寂しさと悲しみしかないんです。寂しさと悲しみを感じないために私たちは怒りを使います。あなたが本当に言いたかったのはこの事じゃないですか?』 と言いました。 『何時まで飲みに行ってんのよ! もう2時よ』 と言われた時に、 『じゃかーしいわ。何時まで飲みに行ってても、俺の金やねんから、文句ないやろう』 と多くの男性は売り言葉に買い言葉になりますが、 『2時まで1人で寂しかったじゃないの』 と言われたら、多分 『ごめん、ごめん、すまんかったな』 となるでしょう。 『1人で寂しかったじゃないの』と言った方が彼が近づきやすくなるのに、私たちは感情に嘘をつきます。そして、 『弱くなんかないもん』 と言います。 ご主人が家に帰ってきて、何かいらいらしているとします。そわそわしているとします。奥さんなら何て言いますか?  『何かあったの?』 って聞きますよね。 でもその時ご主人が 『別に』 と答えます。多くの男性がこう答えます。でも、態度を見ていると『会社で何かあった』ってわかりますよね。 言ってる事を信じないで下さい。もちろんこの態度は 『会社で何かあったんだよ。君はもちろん気づくよね。SOSを出しているんだよ』 と言っています。でも尋ねてみると 『別に』 と彼は答えます。 女性も同じです。 『私の事が好きだって、べーつにー、あんたおかしいんと違う』 とか、とっても好きな人がいた場合に、私たちは大嫌いな振りをします。本当に、私たち大人というのはひねくれ者なんです。 『本当に大好きだ』 と認めてしまったら、 『傷ついてしまうかもしれない』 と恐れるから、私たちは正直な感情に嘘をつくんです。これは皆さんだけではなくて、人間である限り誰もがする事なのです。 なぜかというと、自立のステージでは、『いかに相手に迷惑をかけないか』というのがポイントだからです。『いかにたくさんのものを人に与えれるか』、『いかにたくさん貢献できるか』という事が鍵です。 『あの人は一杯稼いでくるよね』 『あの人って本当に立派だよね』 とか、『何かをするから』というのが自立の価値判断になります。 でも、自立の次のステージ、相互依存のステージでは違ってきます。 受け取る(相互依存) 自立の次のステージは『相互依存のステージ』と言って、『受け取る』という事のステージです。 多くの場合、皆さんのパートナーシップではこんな事が起こりませんか? 例えば女性の皆さんにとっては、彼が 『君のために6ヶ月の給料をすべてつぎ込んで、カップラーメンと水だけで僕が生き残った結晶のこの指輪、受けっとってくれよ』 と言われたら、多くの女性は 『そんな、悪いわ、それは受け取れないわ。でも、いいの? 本当に? ごめんね』 って言ってもらうんです。 でも、彼はそんな顔や態度が欲しくて働いたのでしょうか? 違いますよね。 『えー! すっごーい! わたしこれがほしかったの! ありがとう』 っていうのが欲しくて、6ヶ月それだけを見ながら働いたんですよね。 にもかかわらず私たちときたら、 『悪くない、本当に? いいよ、いいよ、いいよ、受け取れないわよ』 という事をします。 じゃ、この指輪はどこに持ってい行ったらいいんでしょう? 私たち全員こういう事をやっていませんか? 自立は受け取れないんです。でも、ここで『受け取る』という事を学び始めた時に、人生は変わってきます。なぜかと言うと、私たちは自立のステージで、頑張って、頑張っています。なぜなら、私たちの深い部分で自分には『愛される価値がない』と思っているからです。だから、 『何かをしないと愛される価値はないんだ』 と思っています。これは私たちの心の奥にずっと持っているものです。これは両親と子供の関係の中で、私たちの子供時代にできた痛みなんです。まるで両親に言っているように、愛している人にこう言います。 『私は愛される価値がある? 私はこの家の子供で迷惑をかけていない? あなたにとって私は自慢の子供ですか? 私は愛される価値があるの? 私は本当にみんなのお邪魔じゃないの? 生まれてきて迷惑じゃなかったですか?』 だから、愛する人にとって自分が迷惑だと思った時に、私たちは去っていくのが答えだと思います。そして自分の中に無価値感がある時は、私たちは本当に忙しくして何かをやろうと思います。でも、私たちがすべてを手放す事ができたら、自分自身を愛する事ができた時に初めて受け取ります。 『受けとっていいんだ』と思えます。 多くの人に 『もう頑張らなくていいですよ。そんな事をしたら私は食べていけません。そんなことをしたら死んでします』 と言います。 でも皆さんが本当に何もしなかったとしたら、皆さんのご両親やお友達は皆さんを見捨てますか? 皆さんががりがりになった時に、見て見ぬふりをすると本当に思いますか? きっと食べ物を持って皆さんのもとにやってくるでしょう。そしてお友達の何人かは、あなたが本当に痛んでいるのを見て、あなたのために何かをするでしょう。あなたが愛される価値がある人だからです。 でも私たちはそれを感じられないんです。 『何かしなきゃいけない』 『何かしないと愛されない』 と思って働くのと、本当に自分が愛する人のために何かを与えたいと思って働くのは全然パワーが違います。 『いやだなー』 と思って仕事をするのではなく、本当に生き生きとして仕事をしている時には、皆さんの仕事の効率が違います。 こういう経験ないですか?  『あれもせな、これもせな、あれも、これも……。あぁー何にもできなない』 と、気ばっかり焦っている。一杯あります。 それよりも、小さな子供がファミコンをしている時にどうしてあんなに上手にのめり込むようにできるのでしょうか? 楽しんでいる要素があるからです。そこでは、無価値感がないからです。 カウンセリングやセラピーはいろいろな事に使えます。私たちの仕事もいろいろあります。私たちのが行っているカウンセリングやセラピーは学問的なスタイルではなく 『どうやって使っていこうか』 というスタイルです。人によって一杯持って行き方があります。 しかし、私たちの中でこれを男女関係に使ったり、仕事に使ったり、カウンセラーやセラピストになるために使うことがあります。 でも、まず最初にするのは 『自分の感情を癒して幸せになる』 という事をなりよりもまず最初に皆さんにしてもらいます。 なぜなら、皆さんが幸せな時にだけ、人に幸せを与える事ができるからです。 例えば、もし皆さんが自分の幸せよりも、他人の幸せを求めるならば、そしてそれに貢献しようとするならば、皆さんが愛する人は皆さんと同じように犠牲を覚えますよ。 例えば、皆さんが子供を愛して、愛して、愛して、そして今度は、子供が両親に何かをしようとした時に、 『私たちはいいから』 と皆さんが子供に言ったとしたら、子供たちは 『これが愛というものだ』 と思います。そして、こういった子供は自分が愛する人に同じく犠牲をします。 愛情というのは『与えて受けとって、与えて受けとって』じゃないと、皆さんが愛する人から与えて、与えて、与えて、与えてもらって、その人が決して皆さんからの好意を受け取らなかったとしたら皆さんはきっと 『私は彼の迷惑になっている』 とか 『私は彼女の迷惑になっている』 と思うでしょう。そしてそこではこの関係はうまく行きません。皆さんが本当に幸せになった時に初めて相手に一番大きな贈り物を与えることができます。 皆さんのご両親は皆さんのために犠牲をしたかもしれません。なぜ犠牲をしたのでしょう。皆さんに幸せになって欲しいからではありませんか? にもかかわらず、皆さんが受け取らなかったら、両親のしてきた事はまったく無意味になると思いませんか?  オリックスの一郎のお父さんはいつもグリーンスタジアムに行ってます。一郎のお父さんはきっとプロ野球の選手になりたかったのでしょう。でも、自分の息子がプロ野球の選手になって活躍するのを見た時に、本当にまるで自分がなったように嬉しいと思いませんか? 皆さんが幸せになる事は家族に対する贈り物なんです。 やけどの女の子が幸せになった時に初めてお母さんを救う事ができたように、皆さんが本当に幸せになってこう思って下さい。 今日、皆さんが本当に幸せになって、有名人になったと思って下さい。何か皆さんの書いた本がベストセラーになったりとか、皆さんの歌う歌が大ヒットして記念パーティーが開催されていると思って下さい。皆さんの事業が大きくなって、社長になったと思って下さい。そして、すべての賞賛の中で皆さんが拍手を受けてると思って下さい。そして皆さんはこう言います。 『今日、皆さんにご紹介したい人がいます。それは私の両親です。私の妻です。私の家族です』 そして、その中に皆さんが家族を、皆さんの愛する人を迎え入れて、皆さんと同じだけの拍手をもらう。こういう事が皆さんが本当にしたい事ではありませんか? 『この家族がいたから、この愛があったから、私はここまでなれた』 それが皆さんのリーダー・シップです。受け取る事です。特に日本人は下手です。 これを皆さんが学ばれる事です。それをどう使おうと結構です。男女関係でもう一度ロマンスを取り戻す、仕事に魅力を感じる。どのように使って頂いても結構です。 でも鍵はたった1つ、自分の心を癒す事です。愛される価値があるという事を思い出す事、それで皆さんの尊い人生を本当によりよく癒していく事です。 求められいるセラピストとは 例えばいくら医学書を読んでも、知識を詰め込んでも、『さあ、今から盲腸の手術をして下さい』と言われれば、できませんよね。私たちは臨床、実地を大切にします。 だから、実際にバッターボックスに立って140kmの球がどんなに速いものなのかということを見てもらいます。 私たちは橋の上から溺れている人を見て『いいかー。今から平泳ぎの泳ぎ方を教えるから自分で学んで、泳いでね』というようなセラピストを養成したくはありません。 一緒に飛び込んでい行って岸まで助けてあげられるようなカウンセラーやセラピストを養成したいんです。 理論的にいくら学んでいても、こういう人がいたらどうでしょうか。 薬物中毒者で『ぎゃー!! 100匹のムカデが来るー! 恐いー、ぎゃー!』と言っている人に『大丈夫、大丈夫、ムカデは本当にはいないからね』と言ったとしたらどうなるでしょか? おそらく何の効果もないでしょう。 なぜなら彼には見えているからです。だから彼が見えてないあなたの言う事を聞くはずがない。 『冷静に、冷静に』 100匹のムカデが来ているのに冷静になれるはずがない。ここではいくら知識を持っていても無力です。 それよりも、この恐れを一緒に感じてあげて『大丈夫や!! このムカデは噛むと思うから恐いんや。噛まないムカデやぞ。俺にしがみつけ! すぐにどっか行くから』と言って抱いてあげて、しばらくして幻像が消えた時にすごい信頼関係ができていると思いませんか? 今まで、彼の話を聞いてくれて信じてくれた人はいない。ここでは本当に人とつながる事ができて『恐かったなー。しんどかったなー』という所からセラピーが始まります。 これはどんな心理学の教科書にも書いてない事です。私たちのオリジナルの、実際やってみて役に立ったものの1つで、こういうやり方を教えます。 でも、セラピストやカウンセラーでも多くの人は『私は問題ないから、私はより知識的に学びたいのですが…』と言います。でも、こういうのは私たちの所では通用しません。より高く、より良く、みんなの感情を癒してもらわないと、なぜその人ができないのかが分かりません。 皆さんがテレビでプロ野球を見てたら監督の気分になれますよね。『新庄なんでお前打たれへんのや。』とか『何でお前はバントが下手なんや』とか思います。でもこういう人は監督になれません。なぜできないのかが分かる人が監督になれます。『なんでせーへんねん』そんな事は新庄も分かってます。松井も、清原も分かっています。 でも、『わかっているんだけど、できない』 『なぜできないのか』、そこでコーチできる人は自分もそれがいかに難しい事なのかを知っていて、それを乗り越えた人がコーチになれるのです。 スランプになっていない人、東大の法学部の人が家庭教師に行った時に『なぜ分からないのか』が分からないからだめなんです。 セラピスト養成講座では、皆さんにとって本当に問題をあら捜ししてでも抜けて頂かないと、『何で問題を抜けるのがそんなに難しいのか』が分からないから、まったく役に立ちません。 その事を学んでもらったりします。 現状 初めに、皆さんにとってショッキングなお話をしなければならないのですが、日本ではカウンセラーになるのに資格は一切要りません。皆さんが明日からカウンセラーになることができます。また、資格を取ったからといってなれるものでもありません。例えば臨床心理士というのがあります。カウンセラーでは日本で一番難しい認定資格です。国家資格ではありません。 国家資格と認定資格は全然違います。認定資格とは協会が認めているものです。ですから、セラピストやカウンセリングといった業界でプロとしてご飯を食べていっている人は本当に少ないです。 1年間に100人の人がカウンセラーになるとすれば、3年のうちに100人中97人は廃業してします。 なぜなら、お金が稼げないからです。お客さんが来ないからです。これが実態です。 こうなってしまったのは、『カウンセリングというのは心に問題がある人が受けるものだ』と意識したところに原因があると思います。 もちろん、そういった方にもカウンセリングをするわけですが、『普通の人がより良くなるために』という部分があまりにも少ないと、マーケティング的にご飯が食べていけません。 私どものところにも精神的に問題がある方も来られていますが、そういった方は全体の5%にも達しません。もし私たちが、そういった方のみを対象にしていけば廃業していたでしょう。 なぜなら日本では、例えば神戸の地震の時に私たちもボランティアに行きましたが、多くの人は来られませんでした。『恥だ』と思うからです。 私たちは月に30万枚の電話の無料カウンセリングのクーポンを配ってボランティアをしているのですが、多くの場合、本当に問題を抱えていらっしゃる方は匿名で電話をかけてこられます。本当にたくさんの方が電話をかけてこられます。 ここには、マーケットはたくさんありますし、待っている人もたくさんいます。 しかし、多くの人が『顔を見られるのが恥ずかしい』とか『精神病だと思われるかもしれない』とか思われます。これが日本の実態なんです。 皆さんがもしそう思われたとしても病院には行かれないでしょう。どこにカウンセラーがいるのかわらないんです。ましてや『病院に行くのは恥だ』と思います。 例えば私たちは神戸メンタルサービスという会社名をつけていますが、『郵便も出さないでくれ』という方はたくさんいらっしゃいます。なぜなら『家族が心配するから』とおっしゃいます。 日本では非常に恥の文化が多いです。アメリカでは行き付けのお医者さんとカウンセラーと弁護士は成功者のステータスとして持っています。 『こういうのはどうしたらいいかな』とちょっと聞くのに使います。 『昨日女房とけんかしてな。何かいい手ないかな。教えてや』というふうに使います。 でも日本では、まだ精神病の治療だと思っていらっしゃる方が多いです。 この部分だけを見て行けば、確実に皆さんが廃業される97人のカウンセラー中に入ってしまします。 カウンセリングの業界では、産業カウンセラーとかいろいろありますが、資格に惑わされないでください。資格を持っていても生活していけません。 臨床心理士の資格を持っていたとしても厳しいでしょう。でも臨床心理士だけは、手に届くのなら取っておいたほうが良いかもしれません。 私は『もし臨床心理士の資格を持っていれば、私の仕事がもっと楽になった』という経験は山ほどあります。 例えば、神戸の地震の時にボランティアに行った時も、私がどれだけやっても神戸市は認めてくれませんでした。それは、私が精神的なサポートをできる臨床心理士の資格を 持っていなかったからです。 でも私の経験では、皆さんがカウンセラーやセラピストとしてやっていく上で何よりも大事なことは腕を上げることです。そのために皆さんが幸せになることです。 いい彼がいて、いい奥さんがいて、本当に皆さんが幸せそうで、ユーモアがあってすごく楽しそうな時に、周りの人は『あんな人に話を聞いてほしいな』と思います。 理論的な話をするよりも 『しんどかったな。つらかったな』 と言って、本当に泣いてあげれるようなセラピストやカウンセラーでないとまったく役に立たないんです。 クライアントに 『すごく冷たそうだ』 と言うと、クライアントはすぐに皆さんに誰かを投影します。 自分を怒ったお父さん、自分を認めてくれなかった先生。そこでまず皆さんが認識しておかなければならないことは、心理学が人を癒すのではないということです。人が人を癒すということです。 心理学はその鍵になる、『どんなブロックがあって、この人は人と離れてしまったのだろう』ということを知るために使います。 私たち全員にこういうものがあります。私は平準司というのですが『じゅんじの部屋』というのを心の中に持っています。そして何か嫌なことがあったら、心理的に心の中のこの部屋にひゅっと入ります。 そして鍵を5つくらいかけて『ここだったら、これ以上傷つかなくてすむぞ』と思います。 そして、そこでは守られています。その部屋に入っている限り傷つかなくてすみます。でも、誰からも愛されないんです。正確にいうと愛されているのを感じれなくなります。 そして私たちは全員この部屋を持っています。多くの人はこの部屋に入られた経験があると思います。でも、この部屋から出るにはこの部屋の仕組みを知っておかないといけません。 皆さんにとって問題はないかもしれません。でもそれは今だけです。私がお話してきた事で、傷つかなかった人はいません。 私たちの中にある古傷を癒してください。何よりも僕たちにとって皆さんへの贈り物です。それがあった時に人の痛みがわかります。人のつらさがわかります。それがない限り私たちは人とつながることができません。 こういうのがあります。 『僕は偉いんだぞ。カウンセラーなんだぞ』、『セラピストなんだぞ』、『だめじゃないか。がんばりなさい』 と言っても、人とつながることはできないんです。 『なぜその人がそこにいるのか』というのを理解する時に、同じ位置まで下りていってあげて、その位置でつながることがとても大切なんです。 そのためには、まず自分の痛みを癒すことです。 そして、もっと大切な話があります。私たちが提供しているセラピスト養成講座は見ていただいたらわかると思いますが、ヒーリングワークに8回参加していただきます。私たちは毎月ヒーリングワークを行っておりますので、早ければ約半年で、講座が終了します。 良く聞かれる質問なのですが、『セラピスト養成講座を終了したらセラピストとして活躍できますか』というのがあります。 自信を持って言いますが、できません。 皆さんがクライアントの立場になって考えていただければ良く分かると思いますが、半年しか経験のないセラピストのかかりたいと思いますか。 経験があまりにも足りません。皆さんが野球をどれだけハードに練習しても成長できるレベルはどれだけでしょうか。 この講座は基礎講座のようなものです。私たちの特色は知識的な講座ではないということです。知識的な講座ももちろん行いますが、ヴィジョン心理学は基本的に『治れば何でもいい』というものです。治すということに徹底的にこだわります。 例えばエディプス・エレクトラコンプレックスというのは、フロイト派よりもたくさん勉強してもらいます。これは絶対に必要だからです。 ユング派よりも無意識の探求には非常に頑固に取り組みます。 ひょっとしたら、宗教よりも神様のお話をたくさんするかもしれません。なぜなら、無意識というのは、人の心の96%を占めているからです。だから、4%の頭で理解しようとしたら、例え話や比喩・隠喩がいるからです。 例えば、中毒患者やノイローゼ患者にはこういう人がいます。宮崎勤君の判例が死刑と出ていましたが、彼は 『ねずみ男が出てきて僕に命令するんだ』 と言っていました。多くの人にとっては意識的に見たらねずみ男なんて存在しません。でも、彼の中にはねずみ男はいるんです。 私たちにとって無意識に罪悪感というのがあれば自分を罰しようとします。でもこれは無意識ですから意識で理解しようとすればこんな感じになります。 『私には悪霊がついている』とか『悪魔がいて私を呪っているから、私は幸せになれない』 この方がピンとくるんです。これは無意識に罪悪感があるからです。 ここでは、『お化けなんかいないよ』とか『悪魔なんかいないよ』と言うよりも、その話で相手に理解できるようにゴーストバスターズのお化け退治の話をしてお化けを取るしかないんです。まるで、除霊師のような感じです。 これは心理学的に見ると無意識の罪悪感なんです。でも、クライアントにとってはこんな話をしてあげる方がピンときます。 私たちは頭で理解しないと納得がいかないので、無意識を理解してもらおうと思ったら例え・象徴をたくさん使う必要があります。これは、皆さんのためよりもクライアントのためにです。 成長の三角形の底辺、相互依存の部分、本当に深い無意識の部分には『アーキタイプや神話』『悪魔と神との戦い』といった感じがあります。 私たちが無意識の本当に深い部分を扱う時には、私たちには時間の観念がありますから、『すごい昔』と感じる時があります。そういう時にはこれは現世ではなく何か過去世のような感じがする時もあるので、そういった例え・比喩を使ったりします。 皆さんの中には、最近心理学で過去世ワークや過去世回帰とかいったセラピーを聞かれたことがあるかもしれませんが、そういったものは無意識の1つの例えだと思ってください。 こういったもので、人が癒されるのであれば私たちは使っていきます。 もし、皆さんにとって大切な人が癌になった時、こう思われるでしょう。 『オウム真理教でも、統1教会でも、町の拝み屋さんでも、西洋医学でも、漢方医学でも何でもいい。とにかく治してほしい。治ったらそれでいい』 ヴィジョン心理学では本当にその事にこだわります。 その事がセラピストやカウンセラーを目指される方にとって腕を上げることにつながるからです。 多くの場合、クライアントはカウンセリングを受けた後『ありがとうございました。とってもすっきりしました』と言います。 でもこれはお世辞なんです。 もし次にお客さんが来られなかった場合、『良くなかったんだ』と思って下さい。 皆さんのもとにクライアントが来ます。一度『うまく行かなかったな』と思ったら、そのクライアントは1年来ません。2回失敗したら一生来ません。この業界はそういう業界です。 ですから皆さんにとって臨床経験というのはとても役に立ちます。3年で廃業される方は本番で失敗してしまうんです。それが即評判につながります。もうとり返しがつかなくなります。 『平クリニックに行こうと思ってんねん』 『あそこ俺行ったわ。全然は良くなかったわ』 と言われてしまうと、悪い噂はすぐ広まるんです。致命的です。 だから、セラピストやカウンセラーになるには大体3年かかると思ってください。その間私たちが提供したいと思っているのは臨床です。 人によっては、セラピストやカウンセラーになるつもりがない方もいらっしゃいますが、こういう方も立派なカウンセラーだと思います。 『総務の田中さんとこに行って相談しーや。きっと慰めてくれていい事言ってくれるで』 『5丁目の佐藤さんの奥さんの所に相談に行きーよ。いいこと教えてくれるで』 これも立派なカウンセラーやセラピストです。 皆さんがどういうスタイルを望まれても結構です。でも、私たちが言いたいのは皆さんの痛みを本当に見てくれて助けてくれた人はいせんでしたか? 私たちの人生で、『あの人に出会えたから本当に自信がついたし』とか『両親や友達や先生が本当にあの1言を言ってくれたから生き残れた』とかありませんでしたか。 先程も言いましたが、私たちはこうします。 『どうしたの大丈夫』 『別に』 『何か問題があるんじゃないの』 『問題なんかないよ』 そして、自分の部屋に閉じこもってしまいます。でも私たちは待っているんです。誰かが私たちを見つけてくれるのを。 日本全国で、どれくらい多くの人が1人で死んでいっていると思いますか。何十万人という人がいます。みんな言います。 『何であの人が』 気づいてあげれなかったんです。だって『別に』って言うから。 言っている事を信じないで下さい。顔色や声のトーンや感情について学ぶといろんなものが見えてきます。 クライアントは皆さんに嘘を言います。なぜなら『自分が悪いと』思いたくないからです。『私のせいじゃない』と思うからです。 今のフロイト派の心理学ではクライアントがすべて正しい事を言った上での分析方法はあります。 でも臨床ではこういうのがあります。男女関係で言うと自分が浮気をして、このカップルが別れそうになった時 『彼が浮気をしてね』 と言います。彼と自分を入れ替えて、答えを聞いてそれを自分の答えにしようとするんです。皆さんが見たら、 『えー!? このタイプの人が。僕が間違っているんだろう』 と思ってしまいます。そういう事は一杯あります。 私たちは自分達の事を悪く思ったり、思われたくないから、事実を捻じ曲げたり、違うふうに言ったり、嘘を言ったりします。この業界ではこんな事は日常茶飯事、当たり前です。 でも顔色を見たり、声のトーンを聞いたりすればわかります。これは皆さんが自分が嘘をつく時、どんな顔で、どんな声のトーンで、どんな嘘をつくのか見ていけばわかります。 こういう人がもしいたらどう思いますか。 『僕ね、こういう事ができるんですよ。こんな事もできますよ。こんな事も知ってますよ。君、知らないよね?』 『ほら、見て。僕、哲学書を読んでるんだよ。すごいと思わない。普通は読まないよね』 『僕の家にはね、本が500冊もあるんだよ』 こんな人がいたら皆さんこう思いませんか。 『この人って、自分で頭が悪いってコンプレックスを持っているんじゃないかな』 こうやって、あまりにも『頭がいいでしょ』とアピールする人を見たらそんなふうに思いませんか。 それと同じように、すべてのクライアントを見る鍵は自分自身なんです。私たちが自分自身の中を探した時にすべてに対して、『あれは昔の自分だ』とか『あれはお父さんに、お母さんに似てる』とか『友達の誰かと同じだ』と思います。 心理学の本を100冊読むよりも、自分の深い経験や無意識にたくさんの鍵があります。 『どうしたの。今日顔色が悪んじゃない』と思う事はありませんか? 感情には共鳴作用があります。感情について学んでいくとあらゆる分析方法よりも、人を理解するのが速くなります。 箱庭療法をしたり、心理テストをしなくても10分もしゃべれば大体どんな人かすぐわかります。町の占い師よりも良く当たります。試していただいて結構です。 でも多くの人がこう言うと恐くなってしまって来ないんです。探られるような、隠しているのを見られるよな。ここでも、難しいことが起こります。 もう1つ大切なお話をします。 皆さんがとっても若いと思って下さい。21歳の方なら本当に一生懸命勉強して24歳になったと思って下さい。24歳の女の子がとても腕のいいセラピストになったと思って下さい。でも、41歳のおばさんが24歳の女の子の言う事を聞くと思いますか? 聞きません。 ここでとても大切な事は、マーケティングです。もし、皆さんの年齢が若ければ男女関係や少年問題をメインフィールドにしたらどうでしょう。ターゲットを絞られる事をお勧めします。 またプロを目指されるなら、何よりも自分自身が幸せになる事です。自分がこれを使って幸せになれないのに、人に教えるのは変ですよね。 そして、皆さんが今まで大学で心理学を学んだか、学んでないかという事は一切関係ありません。そういったものは何の役にも立ちません。 それよりもとても大事な事は皆さんの人生経験がカウンセラーやセラピストとして何よりも役に立ちます。 OLの皆さん良かったですね。OLの気持ちが本を読むよりも、手に取るようにわかりますよね。お父さんと死にもの狂いの親子喧嘩をした人。あなたにとって、この分野が得意分野になりますよね。こもり症の人。良かったですね。あなたの助けを待っている人はたくさんいます。問題のない人困りましたね。問題がある人の気持ちがわかりませんね。 変な仕事ですよね。皆さんの心の中にある多くの問題がカウンセラーとしての腕を上げてくれます。そして、皆さんが手を差し伸べてくれるのを待っている人は、日本中にたくさんいるでしょう。 『誰も自分の事を認めてくれないし、誰もわかってくれない』と何も言わずに死んで行く人がとても多いです。 誰か1人がその人のいい部分を、美しい部分をわかってあげれるだけで、その人は生き残れるということはたくさんあります。そしてこの仕事はやりがいがあります。 たくさんの人とつながる事ができます。本当に日本中に家族が一杯できるという感じです。私たちは皆さんが先生ぶって上から下にものを言うような、そんなセラピストやカウンセラーになって欲しくないんです。 横につながる事。本当にたくさんの家族ができるような感じ。たくさんの人とつながって欲しいのです。 皆さんの声を聞きたがっている人、サポートを待っている人がいます。でも、決して『助けてくれ』とは言いません。だから、皆さんが気づいてあげなければいけないんです。 私たちの人生で気づいていなかった事はたくさんあると思いませんか? 一杯あります。 皆さんの事を本当に愛してくれた人、本当に思ってくれた人はいるんですよ。そういう事を皆さんが気づき始める事です。 私たちは『してくれて当たり前だ』と思っています。小さな子供の時そう思っていましたよね。親というのは私たちの面倒を見てくれるものだと思っていましたよね。だから『待遇が悪くなったじゃないか』と文句ばかり言っていました。 でも、自分が親になったら『なんでこんなにしんどいんやろ』と思ってしまうんです。 でもここで今私たちが言っている事に関して、私たちの面倒を見てくれた人、励ましてくれた人、そんな友達がいっぱいいました。だから、今こうしていられます。 でも、世の中には自分をまったく認められなかった人、誉められなかった人がたくさんいます。両親からも『おまえなんか屑じゃ』、『おまえなんかいらんかった』と言われている子供もたくさんいます。 そして皆さんにお願いしたい事は、両親の代わりにその子が生まれてきた事を認めてあげて欲しいのです。 『誰にも必要とされなかった。自分は生まれてこないほうが良かった』と思っている人がいたとしたら、その人の両親の代わりになって、友達の代わりになってその人の必要性を認めてあげれる人になって欲しいのです。それを待っている人は日本中にたくさんいます。 そして、それが『どれだけうれしいことか』という事は、皆さんの痛みの中から見つかるでしょう。 私たちは、実践主義です。ですから、講座内容もも臨床がほとんどです。授業スタイルでしたほうが私たちも楽でいいです。皆さんにとっても楽でしょう。ですから、私たちのように自分の問題を扱って行くというスタイルはとてもハードです。 ただし、それだけやってもプロになれる確率は非常に低いです。でも、間違いなく知識だけでセラピストやカウンセラーを目指すのは無謀です。 セラピストやカウンセラーは目隠しして手術するくらいの能力が必要です。 アメリカでは、セラピストになれるのは大学で心理学を勉強して、大学院で勉強して、さらにその後に実地経験があった者だけです。 でもある意味ではみなさんにとって今がカウンセラーやセラピストになれる最大のチャンスです。なぜなら、日本には資格が存在しないからです。 今だったら、皆さんは腕1般でのし上がれます。ある意味では、皆さんがセラピストやカウンセラーになれるいい時期です。5年先ではどうなっているかわかりません。人々の目がこの業界に向いてきましたから。 ニーズがとても多いです。心の時代と言われています。10年前に始めた時にはこれでご飯を食べて行っている人は1人もいませんでした。ヴィジョン心理学の中でも、創始者のチャック・スペザーノ博士だけでした。 しばらくたって、『ココロジー』という心理学の番組ができて『仕事をしやすくなったなー』といった感じでした。 神戸の地震で『心の時代』と言われました。でも、本当に腕のいいセラピストやカウンセラーが実は日本にはいなかったのです。学者先生は山ほどいましたが、臨床経験のある人がいなかったんです。 その当時私は、5年くらい前ですが、150件くらいのお客さんを持っていました。今は、去年1年だけで500件くらいありました。どんどん増えています。それは、日本でもこういったものに抵抗がなくなってきているからです。 日本では『どうしましたか。どうしたらいいと思いますか』というような逆に聞くカウンセリングが主流です。 でも、私たちは『こうしなさい。ああしなさい』と言います。こういう感情を扱っていくセラピースタイルをとっているのは、関西では当社だけだと思います。関東では数社あります。日本全体でも本当に少ないです。 カウンセラーというのは考え方を見て、考え方をサポートします。セラピストというのはやけどの女の子のように何が痛みになってこうなっているのかを癒します。これがセラピストとカウンセラーの違いです。 カウンセラーはアドバイザーとして日本で認められていますが、おそらく皆さんがカウンセリングと思っているのはセラピーの事です。 いろんな仕事があります。皆さんがこういう仕事を始めると人が好きになります。そしてみんなと愛について、自分達の誤解について学ぶことが楽しくなります。私もこれを趣味でしていたのですが、知らない間に趣味が仕事になってしまいました。とても幸せな人間だと思っています。 たくさんの人が毎日電話をくれます。家でテレフォンクラブをやっているようなものです。『今日はどんな電話がくるのかな』とても楽しみです。 どんどんどんどん友達が増えて、あらゆる業界に知り合いができます。そして人生がとても豊かになります。そして本当にフレンドリーなお付き合いができます。 クライアントと先生という関係ではなく、フレンドシップができるとてもいい仕事だと思います。 そして何よりも大きなことは、多くのクライアントから私たちが学べることです。 神戸メンタルサービス 代表 平 準司 Copyright 1997-2000 神戸メンタルサービス